しま猫のブログ

頭がぐちゃぐちゃで叫んでいたら、文章を書くといいと言われたので。

友達のお母さんの話。

 大学2年の夏休みの少し前、幼なじみのお母さんが亡くなったことを知らされた。身近な人の死は、とても衝撃的だった。

 母によれば、誰でもなりうるくも膜下出血で、昼間誰もいない家で倒れてしまったのだと言う。確かにあのお母さんはお酒も好きでヘビースモーカーだったしなあ、と納得するための材料をちょこっと集めてみる。それにしても、再婚だったこともあって自分の母より5個以上若い人が。この間、腹違いのお兄ちゃんの子どもが幼稚園に入ったと、自分の本当の孫のように喜んでいたのに。

 夏休みに入ったら、エアコン代節約のために早々に帰省しようと思っていたが、なんだか心がざわざわしてしまってスケジュールアプリから帰省の文字を消した。幼なじみにも何か連絡した方がいいのだろうか、と思うが、一度誤ってLINEを消してしまってからは、記憶にかすかに残っている家電の番号しか連絡先がわからない。

(気の利いたことを言えるわけじゃないし…)

言い訳のように呟いて、考えるのをやめた。

 

 ずっとエネルギーの塊みたいな人だと思っていた。

 ママさんバレーにも参加して、公園での子どもの遊びにも付き合ってくれる人。パッチワークの、だけど派手なエプロンをして家事をしているのを覚えている。月刊の料理本や手芸の雑誌が好きで、遊びに行く度に知らない料理を味見させてくれた。もらったビーズのマスコットは子どもながらに手がかけられているのがわかって、壊れるのが怖くてきちっとしまった。

 そして、とても優しい人だったと思う。

 小学生のある時、どうしてもどうしてもハガキを使いたくて、雑誌の懸賞用に挟んであったハガキをこっそり盗って帰った。その夜、きゅうり漬けをお裾分けに来た。ばれてるんじゃないか、親の前で怒られるんじゃないか、そんなことばかりが頭を巡って柱の影でこそこそしていた。が、意外にもその場では怒られず、次の日母とハガキを買いに行った。そして返して謝った。悪いことをしている自覚があることを、きっと見抜かれていたのだろう。ちゃんとハガキの買い方を知っている小学生になれた。

 

 まさかこんなにも早くなくなってしまうなんて。エネルギーを使いすぎたのだろうか。あのお母さんが嫁いでからずっと介護してきたおばあちゃんはまだ生きているのに。保護したおじいちゃん猫はまだ元気にブロック塀の上を飛んで歩いているのに。

 ベッドの上でゴロゴロしながら、インスタグラムを流し見する。流石に友達の親が死んでR.I.Pなんて投稿している人はいなかったが、匂わせたお悔やみ投稿を見かけた。そういえば、元気なイメージは中学校で終わっている。高校で学校が離れてからは、幼なじみとも数回しか会ったことがない。みんなは会っていたのか。

 疎遠になったから、連絡を取れないのだろうか。夏休みになったらすぐ帰って線香をあげに行こうと思えないのだろうか。なんて薄情なんだろう。あんなに優しくしてもらったことを、思い出せなくなる日も来るんだろうか、と感傷的になるも涙は出ないままだった。

 その日のバイトの賄いは親子丼で、タイミング悪いなあと思いながら完食した。美味しかった。